昭和40年01月30日 朝の御理解
尽きることのない神語りに、伝える者も、聞く者も、時間のたつのも、夜の更けるのも忘れて、その神語りを耳そばだてて聞かせてもらう、語らせてもらう。そういう様な雰囲気がです、尊いものとして有り難いものとして感じられれるおかげを頂かなきゃいけません。教祖の御伝記なんかも拝聴致して居りましても、お徳を受けられた先生方、御伝記なんかによく出て来そうなお話ですね。
もう尽きる事のない神語り、それをまた聞く者も、時間の更けるのも、夜の更けるのも、時間のたつのも忘れてしもうて聞き入って居るというような、私はあの椛目では、そういう雰囲気が何時も在ると思うですね。さあこれがね、私がこうして居るときですから、これが現実なのですから、また先生な話が始まった。時間が何時じゃあると思うとか。みんな帰りゃよかとに。それがですねえ、本当に例えば、次の時代になったらそういう事になるのじゃないかと私は思うんですね。
昨夜なんかも御祈念の後に、福岡の秋永先生が見えとりましたもんですから、それこそ神語りが尽きることがない。あそこに十四、五人集まっておりましたでしょうか。昨日は珍しく久保山先生まで残って最後までお話をしたり、頂いたりして帰られたのですけれども。そのほんとに立てないような雰囲気なのですね。もうほんとにその一言一言のその話というのが、神様が躍動しておられるような話ばかりなのです、後から思うてみますと。何でもないいわば四方山話の様にあるのですけれどもです。
どの話を聞いてもこの話を聞いても、神様がもう生き生きとして物言うて下さっておるような話。神様が生きて働いておられるようなその様子ですね。そういう中に例えばお互いあらせて頂いてです私の十五、六年前の時分、善導寺の教会から私が、私ども各地区の共励会にお話に参りますと、その神語りが尽きることがなかったですねえ。久保山先生やら秋永先生あたりがもう後には、初めはやっぱ久保山先生だけだったでしょうか。私がお話に行くところを、もう何処へでも付いて回っておられた時代です。
それを有る人は、大坪さんが大きな事ばっかり言うちからちいうような、大変な非難ごうごうでしたですね。信心の共励というものは、もう三十分か一時間、もうばたばたっとしたらもうそれでいいんだと。明日のご用に差し支える様なことではいかん。と言うて、もう大向こうから反対の声がありますかと思うと、私を取り巻いてお話を聞いて下さる方達はもう時間の経つのも忘れる。
夜の更けていくのも覚えん様になって、お話をし、成るほどおかげを頂いてから夕べ一晩中夜通しでございましたばってん、明くる日のご用が出来ましたというようなおかげも頂いて居る様ですけれども、やはりそこは生身ですから、やはり居眠りもつけば、疲れも来るんですけれども、さあ今から考えて見ると、あれが信心の血、肉にお互い成ったように思んです、ね。
そんならその時分にです、もう大坪さんが大きなことばっかり言うてから、と言うて居った人達は、生きた神様は今にしてまだ分かっていない人達ばっかりなんです。私はね、そういう雰囲気を大事にしなければいけないと思うですね。時計ばかりを気にしたり、それこそ大きな事ばかり言うてとか、まあ例え極端に言うならです、そういう例えばです、気持ちでその場に居っても、その場はやはり大坪さんの大きな話ばっかりになり、いかに神語りであっても。
それは神語りではなくて、ほんとに貴重な時間を、本当に馬鹿らしいと言うことになり、信心を生き生きとしてね、身につけていかなければならんけれど、その自分の信心が生き生きとして、信心が身に付いて行くときには、非常にそういう雰囲気が楽しいものに成って来るんですね。私が月次祭の後でもそうです。ほんならその前の高芝さんの所の前の日がお宅祭りで、それで皆さんが帰られた後にまた十人位残られましたでしょうかね。昨日の晩の話です。
いわゆる神語りなのですよね。で、もうはあ何時も回りまして、帰らしてもらわにゃ、明日も、お早うあんなさいますからちゅうて、皆さん帰る。帰るとを送り出してから行きながら、「ええと、今度は先生いつですかねえ、お会いするとは」というわけなんです。私は必ずこれは聞くんです。月次祭の後なんかはもう一時までも二時までも、お話をもうするごとなかごたるお話をして居ってもです、まだその話足りんのであり、聞き足りんのであるという感じなのです。
ですから「ええと今度は、先生、また明日こんならんとですが」「ああそうじゃったね」というわけです。昨日の晩もそうでした。「今度はいつですかね、お会い出来るのは」て。「明日また田主丸に出て、森部の高山さんとこに来んなりませんけに、どうせ明日おかげ頂かにゃなりません」というように、明日会えるでも、もう明日会えるでも、何か知らんけれども、次のお会いをするを時間を決めて置きたいような気持ち。私はそういう雰囲気が大事だと思うですね、信心を進めて行く人達には。
昨日はむつやの田代さんが夜のご祈念に参ってみえて、お届けなんです。ほんとに今日はどこかあの唐島のあたりまで参りましたら、自動車が、大きなトラックが横転してるわけです。ですから通れない。何十台という自動車がつかえておる。だからどこか真木かどこかあの辺まで歩かにゃならん。丁度永瀬さんの奥さんも毎晩参っておいでです、一緒だった。そしてそこに道にずっと水が溜まってから。
その水をじゃぶじゃぶ渡ってこんにゃならん。道が今あそこのとこは。「もう田代さん、私ゃ、ご無礼しまっしょう。もうこげんなところを、帰りが大変ですけんで。」永瀬の奥さん、折り返しのバスで帰られた。「私もその普通の私なら、もうほんなこて抗議をしだすとこです。夕べあなた、出てきよりましたばってんこうじゃったけん」(笑)まあそんな人なのです。
だいたいの意気、だいたい田代さんなら、そこば押して来なさるが田代さんじゃないとばってん。よっぽど昨日はおかげ頂いたじゃろうて言うてから、話したことでしたけれど。「何が先生、昨日秋永先生がみえてからあなた、もうお話を頂いとりました。いつでしたか、私もう総代をもう御用も出来んし、引かせて頂こうかちゅうて、その話した時に、秋永先生がいろいろ話された。
本当にまあ、ようやく、そのまあ、そんなもんだろうかとこう思うたんだけれども、昨日ばかりはこりゃもう一生涯、総代をこちらからでも止めさせてくれなんて言う事は、言わんぞというようなです、出来はせん、けれどもそこに盛り盛りとした何かが心の中に頂けてです、そのいわば水の中を渡ってからでも来らせて頂くことが、ほんとに昨日ばっかりゃ有り難かったんですから」て言うて居られました。
すると帰りはどうですか、あの高芝さんたち夫婦でお礼に出て見えとりましたから、その自動車で便乗して帰られましたですね。それで一寸と前に、っ久保山先生とこの茂さんが、私は一緒に参って来とるかと思っとったら、別々だったらしい。まあ茂さんもやっぱり同じなんです。ここでいろいろお届けされました中にです、ね。「もう誰彼じゃございません。親先生、そこん所が今までいっちょん分かっとりませんでした。
これからはです、誰やら彼じゃございません。私自身の信心がです、むつやにこういう風に響くんだと言うことを分からせて頂いて、今日を境に私はこういう信心にならせて頂く」というてそのお届けがあったんです。初めてそういう有り難い、私は茂さんのお取次をさして頂きました。信心の上で。それで、むつやがこうでございますけん、むつやのことをお願いするという事においては、いろんなお願いがありましたけれどもです、それがです、みんな誰彼のせいじゃない。
難儀そのものが私のせいとしてです、私のものとして取り組んで行きたい。それがやはり【 】の話を一時間あまり、あちらで聞かして頂いておるうちに、そういう心が生まれて来た、とこういうわけです。ほんとに例えば、昨夜の話なんかはそういう意味合いに於いて、ほんとに神語りと言うて良いようなそのお話でしたもの、ここで雰囲気が。ね。だから、そういうようなその例えば、まあ神気に満ちたようなお話合いですたいね。いうならば神々様たちの話合いのような感じなんです。
それを本当に座って話込んでから、もう何時回ったとこでと言う様なです、もしお互いの中に心、そう言う様な場合、そう言う様なおかげを頂いた時に、そう言う様な気持ちが心の中に起こるとするならば、これは自分の信心は間違っておるなあと、大きく私は展開、転向していかにゃいかん。心が変えられなければいけない。これでは椛目の信心はとても分かろうちゅうたって分かられる段のこっちゃなかと私は思うですね。
十何年前に、例えば、私のそうした話をです、とにか夜の更けるのも忘れてから、時間の立つのなんかもう問題じゃない。明日の御用もあるけれども、やはりその雰囲気を大事にして、その伝える者も聞く者もその雰囲気を楽しんだ様にです。けれども一部にはです、また大坪さんの大きな話が始まったと。と言う様な頂きかたをしておった人は、今にしてまだ生きた神様の働きと言うようなものなんかは。
信心は続けられて居ってもです、そうゆうようなものをその人達から感じられんのです。勿論、椛目時代から私と縁がその時分から在って無かった様なものですから、もちろん現在まで続いて居るわけでは在りませんけれども。私はね、そういう神語りとしてですね、私はもう尽きることのない神語り、もう立つのが惜しいといった様な感じの時には、もう明日の事なんか考える事はいらないと思うですね。
それよりも、もうほんとにそれを聞きよって、眠うして応えん。きつうして応えん。「またいつまで信心話が続いて」という時には、だからもうこりゃ別ですけれど。ならそれはその人が一つ、これは、これではおかげが受けられん状態で在るということを一つ分からしてもろうてですね。
私は、その夜ふかしをして話せ、徹夜して話せ、ではないけれども、そういう雰囲気は大事にしなければいけないと思うですね。そういう時に、神語りというような、いわばあの神語りの中からですたい、お徳を受けて行く話、おかげを頂いていけれる話。それこそ冬にです、水の中をざぶざぶ渡って来るのが楽しい様なですね、私はおかげが頂れる素が頂けれると思うのですね。おかげ頂かにゃいけません。